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福岡高等裁判所 昭和63年(う)226号 判決 1991年3月26日

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人Bに対し、当審における未決勾留日数中八〇〇日を原判決のその本刑に算入する。

理由

被告人Aの本件控訴の趣意は弁護人上田國廣提出の控訴趣意書に、被告人Bの本件控訴の趣意は弁護人長門博之提出の控訴趣意書に、右各趣意に対する答弁は検察官沖本亥三男提出の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。

一  弁護人上田國廣(被告人A関係)の控訴趣意中、事実誤認の主張について

所論は、要するに

(1)  原判決は、犯行に至る経緯として、被告人Aから被告人Bに対し、積極的に「甲野」グループからの恐喝やその社長Cの女児誘拐の話、更には本件被害者D誘拐の話を持ち出したと認定しているが、被告人Aからこれらの話を持ち出したのではなく、いずれも被告人Bから持ち出したのである

(2)  原判決は、罪となるべき事実第一の一(二)において、D殺害の最初の一撃を加える予定のEが、空の一升瓶を手に取ったものの、実行をためらっていたところ、被告人AがEに近づき「それですっとや。」と話しかけて暗に実行を促したと認定しているが、被告人AがEに暗に実行を促したことはない。

(3)  また原判決は、罪となるべき事実第一の一(二)において、DがE、被告人B及びFからその頭部に合計十回位もコンクリートブロック片を投げつけられたのに、まだ息絶えずに「A助けてくれ。」と言って被告人Aに助けを求めた直後に、被告人AがDの頭部にコンクリートブロック片を投げつけたと認定しているが、Dが「A助けてくれ。」と言ったのは、Eから空の一升瓶で一撃された直後か、Eや被告人Bらからコンクリートブロック片を投げつけられ始めたころであって、被告人Aがコンクリートブロック片を投げつける直前ではなかった

のであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、所論指摘の諸点について、原判決挙示の関係各証拠、その他原審記録に当審における事実取調の結果を併せ検討してみても、原判決に判決に明らかな影響を及ぼすような事実誤認があるとまでは認めるに至らない。その理由は以下のとおりである(なお、以下においては、原審公判廷における供述を「原審供述」、当審公判廷における供述、当審公判調書中の供述部分あるいは当審裁判所の証人尋問調書を「当審供述」という。また、被告人Aの当審供述には、その作成の昭和六三年九月五日付及び平成三年一月二一日付各上申書を含む。)。

1  所論(1)について

被告人Bの原審供述は、被告人両名が東京から玉名市内の被告人A方に帰る新幹線の車内で、被告人Aから、「甲野」グループの社長は金を持っているし、後ろめたいことをやっているから、それを種に脅したら金を出すはずだと聞かされていたが、被告人A方で世話になっているうちに、被告人Aから、「甲野」グループの社長には小学生の女の子がいるから誘拐して金を取ろうと持ちかけられ、被告人Aの運転する自動車に乗り、その子の通学している小学校や甲野洋品店、金を取る場所として考えた明星病院の近くを下見するなどしたものの、小さい子供は泣くから誘拐は難しいのではないかと話したところ、被告人Aから、いっそのこと被告人Aの同級生であったDを誘拐し殺害しようと持ちかけられたので、殺すことに消極的な発言をしたら、被告人Aから「おっかながっているんじゃないの。」と言われたなどというものであるのに対し、被告人Aの検察官(昭和六二年一〇月一六日付―原審検一四五号)及び司法警察員(同月九日付―原審検一三五号)に対する各供述調書等は、被告人Aが「甲野」グループからの恐喝やその社長Cの女児誘拐の話、更にはD誘拐の話を積極的に持ち出したのではなく、被告人Bから暴力団絡みの商売をしていて恐喝の対象となるような企業はないかと尋ねられて、「甲野」グループの名を挙げたに過ぎず、またその後被告人Bから「甲野」グループの社長の家族などを聞かれて答えたところ、被告人Bはまずその女児誘拐の話を持ち出したが、被告人Aがその子は知らないと言うと、被告人Bはその後被告人Aの同級生であったD誘拐の話を持ち出してきたのであり、その女児の通学している小学校や甲野洋品店は、パチンコに行った帰りにたまたま通りがかって被告人Bに教え、また被告人Bから金を受け取る場所を探そうと言われて明星病院の先の方へ案内しただけであって、同級生であったDを誘拐すれば殺さざるをえないから、当初はしたくなかったが、特に気持が変わるようなきっかけはなかったものの、結局は大金の魅力に引かれてやる気になったなどというものである。

原判決は、犯行に至る経緯として、被告人Aと被告人Bが、玉名市内の被告人A方に帰る新幹線の車内で、「『甲野』グループの社長Cを……ゆすってはどうかといった話もしていた。」と認定し、被告人Aから被告人Bに対し、積極的にその恐喝の話をしたとまでは認定していない(この点の所論は前提を欠くことになる。)けれども、被告人Aが被告人Bに対し、「甲野」グループの社長の女児を誘拐して身代金を取る計画を持ちかけ、更にはDを誘拐殺害して身代金を要求する計画を述べたなどと認定しているのは、被告人Aのいうところを信用せず、被告人Bのいうところを信用したためであることが明白である。

所論は、被告人Bが自らの責任を軽くしようとして、被告人Aに責任を転嫁して供述している可能性が大であり、被告人Aの供述にも同様の可能性があるとしても、被告人Bのいうところを全面的に信用することは危険であると主張する。

しかしながら、原判決挙示の関係各証拠によれば、被告人両名は、昭和六二年七月一〇日ころそれまで所属していた東京の暴力団乙山組を抜け出たが、被告人Bには行き場所がなかったため、被告人Aの誘いでその実家に行き、玉名市内の被告人A方に寄食していたものであり、被告人Bは被告人Aから聞かされるまで、「甲野」グループやその社長の女児、その社長の長男で被告人Aと小学校の同級生だった本件被害者Dについて、全く何も知るはずのなかったことが認められるのであって、このような被告人両名の関係や「甲野」グループとその社長の家族についての被告人両名の認識の程度などから考えると、被告人両名の間で「甲野」グループからの恐喝やその社長の女児誘拐、更にはD誘拐の話がなされた状況、あるいは被告人両名がその女児の通学している小学校や甲野洋品店、明星病院の近くを下見するなどした経緯に関する、被告人両名の各供述を対比すれば、被告人Bのいうところの方が被告人Aのいうところよりも格段に自然かつ合理的であり、また迫真性にも富んでいることが明らかである。

しかも、被告人Aは、原審公判(第四回)においては、「甲野」グループからの恐喝の話は被告人Bが持ち出したが、その社長の女児誘拐の話は自分が持ち出し、被告人Bが同級生はどうかと言ってD誘拐の話に変わった旨述べるなど、その供述は一貫性を欠いていることも明白である。

原判決が、被告人Aの供述を信用せず、被告人Bの供述を信用したのは相当であり、その他原審記録に当審における事実取調の結果を参酌してみても、原判決の右認定を左右するに足るものは存しない。

原判決に所論(1)のような事実誤認の疑いを容れるには至らない。

2  所論(2)について

所論は、被告人Aが一升瓶を持っているEに近づき、「それですっとや。」と話しかけた旨いう証拠は、被告人Aの原審供述だけであり、しかも被告人AもそれによってD殺害の実行を促したなどとは一語もいっていないのであるから、原判決は、被告人Aの原審供述の一部を自己の判断に都合のよいように抜き出して、関係者が誰もいっていない実行の促しと認定した乱暴なものであるとして非難する。

なるほど、Eの原審供述やその検察官に対する昭和六二年一〇月一七日付供述調書(原審検一九七号)には、一升瓶を持ってためらっていたら、Fから「これですっとか。」と話しかけられたとか、「どがんすっとや。」と聞かれたという部分はあるものの、被告人Aからそのように話しかけられたという部分はなく、またFの原審供述やその検察官に対する昭和六二年一〇月一五日付供述調書(原審検二一六号)にも、一升瓶を持っているEに「いかんとや。」と声をかけたという部分はあるものの、被告人AがEにそのように話しかけたという部分は存しない。しかし、被告人Aが一升瓶を持っていたEに同様の話しかけをした旨いう証拠は、所論のいうように被告人Aの原審供述だけに止まるわけではない。被告人Aは司法警察員に対する昭和六二年一〇月二日付及び同月一四日付各供述調書(原審検一三二、一三九号)においても、一升瓶を持っているEに「それでやると。」とか「それでやるとや。」と言ったことを自認しているし、当審供述(第三回公判一五一項以下)においては、原審供述を維持するとともに、更にEが「はい。」と返事をしたとも述べている。してみると、Eには、被告人Aの言葉が被告人Aの言ったことと分からなかったのか、あるいはこの段階での被告人Aの言葉に関する記憶が完全に欠落しているのか、いずれか知れないにせよ、被告人Aが一升瓶を持っているEに近づき、「それですっとや。」と話しかけたことは、やはり間違いがないと認めるのが相当である。そして、被告人Aの原審及び当審各供述は、この言動をEにD殺害の実行を促したものではないというのであるが、被告人Aの原審供述(第五回二三三項以下)によると、犯行現場に至る自動車の中の話では、Eが最初にD殺害の実行行為に出ることになっていたのに、Eがまだ行動に出ないから、どうして出ないのかという感じでEのいる所に近づき、右のように話しかけたともいうのであるから、その言動は実行をためらっているEにふんぎりをつけさせるきっかけとなる性質のものであったことが明らかであり、Eに対し、共犯者としてD殺害の実行を暗に促す意味を持っていたものと理解するのが合理的である。

原判決に所論(2)のような事実誤認は存しない。

3  所論(3)について

DがEに一升瓶で殴られてから殺害されるまでの間に、「A助けてくれ。」と言って、被告人Aに助けを求めたことについては、被告人A、被告人B、E及びFの各供述の一致しているところであるから、間違いのない事実と認められる。しかし、その時期については、被告人A、被告人B、E及びFの各供述に大きな相違がある。被告人Aの検察官(昭和六二年一〇月一八日付―原審検一四六号)及び司法警察員(同月一四日付―原審検一三九号)に対する各供述調書等は、Eから頭部を一升瓶で殴りつけられ倒れたDを被告人Aが引き起こした時のこととしていい、被告人Aの原審供述は、Eから頭部を一升瓶で殴りつけられ倒れようとしているDの肩を被告人Aが掴んだ後のこととしていうのに対し、被告人B及びEの各原審供述は、E、被告人B及びFがDにコンクリートブロック片を投げつけた後、被告人Aが投げつける直前のこととしていうのであり、またFの原審供述及びその検察官に対する昭和六二年一〇月一五日付供述調書(原審検二一六号)は、E、被告人B、F及び被告人AがDにコンクリートブロック片をこもごも投げつけている途中のことのようにいうのである。原判決が、被告人Aの右供述を信用せず、被告人B及びEの右各供述に信を措いたことは明らかである。確かに、被告人B、E及びFの右各供述には被告人Aの右供述にあるような状況をいう部分が見当たらず、また被告人Aの右供述のいう被告人A自身の行動が、その時のDに対するものとしては、いかにも不自然であることからすると、原判決が、被告人Aの右供述を信用しなかったのは相当というべきである。被告人Aの当審供述もまたその原審供述とほぼ同旨のものであるが、同様に信用することができない。しかしながら、頭部を一升瓶で殴打されたうえ、頭を腕で庇うようにしていたにせよ、更に頭部に合計十回位も重いコンクリートブロック片を投げつけられたDが、被告人Aから最後にコンクリートブロック片を投げつけられる直前に、まだ絶命していなかったにせよ、なお気絶することなく、「A助けてくれ。」と言って助けを求めることのできる意識状態にあったとは、にわかに信じ難い。被告人B及びEの右各供述にも疑問を容れる余地があるというべきである。被告人Bの当審供述もまたその原審供述とほぼ同旨のものであるが、同様に信用することができない。してみると、Dが「A助けてくれ。」と言って被告人Aに助けを求めたのは、E、被告人B及びFがDにコンクリートブロック片を投げつけ始めた後であることは否めないにしても、原判示のように、E、被告人B及びFがコンクリートブロック片を投げつけ終えた後、被告人Aが最後にコンクリートブロック片を投げつける直前であったとまでは、必ずしも認定できないというべきである。

しかし、Dが「A助けてくれ。」と言って被告人Aに助けを求めたのがどのような時期であったのかによって、被告人Aの本件犯行の構成要件的評価に、なんらかの差異が生じるものでないのはもとより、またそのことによって、被告人Aが同級生であったDを欺き、その信頼を裏切って誘拐したうえ、殺されようとしながらもなお被告人Aに助けを求めるDに対し、自ら最後にコンクリートブロック片を投げつけて殺害した犯情に、特段の差異が生じるものとも認められない。

所論(3)の点をもって、原判決に判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるとまではいうことができない。

以上のとおりであって、原判決に判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

二  弁護人長門博之(被告人B関係)の控訴趣意中、事実誤認の主張について

所論は、要するに、

(1)  原判決は、犯行に至る経緯として、被告人Bが被告人Aから「甲野」グループの社長Cの女児誘拐の話を持ちかけられ、昭和六二年七月二一日ころ、「甲野」グループの本部事務所や右女児が通っていると思われる小学校、身代金授受に適当な場所を下見したりしながら計画を練ったと認定しているが、被告人Bは被告人Aの運転する自動車に乗っていて、被告人Aの犯行計画を聞かされただけであって、原判示のように下見したりしながら計画を練ったわけではない

(2)  原判決は、犯行に至る経緯として、右下見の際に、被告人Bは被告人AからD誘拐殺害の話を持ちかけられて、被告人A方に世話になっている義理と被告人Aから「おっかながってんじゃないの。」と言われたことに対する意地から、これを承諾したと認定しているが、被告人Bはこの段階ではD殺害については反対していたものであり、その誘拐殺害を承諾したわけではない

(3)  原判決は、犯行に至る経緯として、昭和六二年八月中旬にEがいったん被告人A方を出て行き、同月末ころに再度被告人A方に戻って居着くようになるまでの間に、被告人Aと被告人BはD誘拐殺害計画を放棄することなく、折りに触れて計画実現の方法について話し合うなどしていたと認定しているが、被告人Aと被告人Bがその間に右計画実現の方法について話し合うなどしたことはない

(4)  原判決は、犯行に至る経緯として、被告人Bが被告人AにEとFをD誘拐殺害計画に誘うよう提案したと認定し、また量刑の理由において、ふたりを本件犯行に引き入れたことは被告人Bの責任であると認定しているが、被告人Bが被告人AにEとFを右計画に誘うことを提案した時点では、既に被告人Aがふたりを誘っていたのであり、また被告人BにEとFを本件犯行に引き入れた責任もない

(5)  原判決は、量刑の理由において、被告人Bが被告人Aに次ぐ地位にあり、その参謀格であったと認定しているが、被告人Bは被告人Aに次ぐ地位にはなく、またその参謀格であったわけでもない

のであって、原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある、というのである。

しかしながら、所論指摘の諸点について、原判決挙示の関係各証拠、その他原審記録に当審における事実取調の結果を併せ検討してみても、原判決に判決に明らかな影響を及ぼすような事実誤認があると認めるには至らないし、所論指摘の一部の点は事実誤認の主張としては主張自体失当なものである。その理由は以下のとおりである。

1  所論(1)について

被告人Bは検察官(昭和六二年一〇月一四日付―原審検一六六号)及び司法警察員(同年九月三〇日付、同年一〇月九日付―原審検一五四、一五六号)に対する各供述調書において、被告人Aから「甲野」グループの社長Cの子供を誘拐し身代金を取る話を持ちかけられ、成功したら金になると思って「じゃあやろうか。」あるいは「いいよ。」と言って承諾し、その翌日に「甲野」グループの本部事務所や子供が通っていると思われる小学校、身代金授受に適当な場所を下見したりしながら計画を練ったことを認めており、右供述はその後の被告人Bの行動に照らし充分信用に値すると考えられる。また、被告人Bの原審及び当審各供述も、被告人Bが予め下見に行くつもりで出かけたかどうかは別として、被告人Aとともに右の各場所を下見したりしながら、身代金目的の誘拐計画について話し合ったことを認めるものであって、原判決のこの点についての事実の認定になんら誤認は存しない。

2  所論(2)について

被告人Bの原審供述は、被告人Aから最初にD誘拐殺害の話を持ちかけられて難色を示していたら、被告人Aから「おっかながってんじゃないの。」と言われたというものの、その段階でD誘拐殺害まではっきり承諾したとまでいうものではないけれども、その言葉に対する反発や世話になった義理から結局は加担することになったことを認めるものであり(第三回公判二二項以下、第七回公判(二)二六項以下等)、また被告人Bの司法警察員に対する昭和六二年一〇月九日付供述調書(原審検一五六号)は、被告人AがD誘拐殺害を実行するのなら一緒に実行する気持になったことを認めるものであって、その後被告人BはD誘拐殺害を前提とした言動をしているのであるから、本当に実行に至るかどうか疑う気持はあったにしても、被告人Bがそのころ被告人AのD誘拐殺害計画への加担をほぼ承諾したと認めても間違いとはいい難い。当審における事実取調の結果も右認定を覆すに足るものではない。この点についても原判決に事実の誤認があるとまでは認められない。

3  所論(3)について

被告人Bの原審供述及びその検察官に対する昭和六二年一〇月一四日付供述調書(原審検一六六号)等は、同年八月に被告人Bと被告人AがD誘拐殺害計画実現の方法について話し合った時期は、Eがいったん被告人A方を出て行く前であったようにいうものであるのに対し、被告人Aの原審供述は、昭和六二年八月中旬にEがいったん被告人A方を出て行き、同月末ころに再度被告人A方に戻って居着くようになるまでの間に、被告人Bと被告人Aが右計画実現の方法について話し合うなどしていたことを述べるものであるが、Eがいったん被告人A方を出て行った後も、無為徒食の日々を送っていた被告人Bと被告人Aが、右計画実現の方法について話をするのは充分自然なことであるから、原判決の認定が不合理であるとは認め難い。当審における事実取調の結果も右認定を覆すに足るものではない。この点についても原判決に事実の誤認があるとまでは認められない。

4  所論(4)について

被告人Bの原審供述及びその検察官に対する昭和六二年一〇月一四日付供述調書(原審検一六六号)等は、昭和六二年八月に入ったころ、被告人Aに対し、D誘拐殺害計画にEやFらを加担させようと提案したが、被告人Aはその時は、被告人Bとふたりでやろうと答え賛成しなかったものの、同年九月初旬ころ、被告人Aに対し、もう一度右計画にEやFを加担させようと提案したところ、今度は被告人Aも賛成したので、その後EやFにその話をしたら、ふたりは既に被告人Aから右計画を聞いているとのことだったというのであり、被告人Aの原審供述も、同年八月下旬か九月初旬ころ、被告人AからEとFを右計画に加担させようと言われて賛成し、ふたりにその話をしたというのであって、被告人Aが被告人Bより先にEとFに右計画を打ち明けたとは認めうるものの、被告人Bが被告人AにEとFを右計画に誘うことを提案した時点で、既に被告人AがEとFを誘っていたとまで認めるべき証拠は存しない。原判決が、犯行に至る経緯として、被告人Bが被告人Aに対し、EとFを右計画に引き入れようと提案して、被告人Aがこれに賛同し、まず被告人Aが次いで被告人Bが、それぞれEとFに右計画を打ち明けたと認定したことは相当であり、当審における事実取調の結果も右認定を左右するに足るものではない。原判決のこの点についての事実の認定に誤認は存しない。

また、原判決は、量刑の理由において、EとFを本件犯行に引き入れたことは被告人Bの責任であると説示しているけれども、これはEとFが本件犯行に加担する過程において、被告人Bの果たした役割等から、原判決が加えた評価であり、EとFを本件犯行に加担させたことが被告人Bの責任であるとの事実を認定したわけのものではないから、その当否は事実誤認の主張ではなく、量刑不当の主張として論ずべきものである。所論(4)のこの部分は主張自体失当である(したがって、この点については、量刑不当の主張として取り上げることとする。)。

5  所論(5)について

原判決は、量刑の理由において、被告人Bが被告人Aに次ぐ地位にあり、その参謀格であったと説示しているけれども、これは被告人Bの本件の共謀、実行過程における言動、果たした役割、他の共犯者との関係等に照らし、原判決が加えた評価であって、被告人Bが被告人Aに次ぐ地位にあり、その参謀格であったとの事実を認定したわけのものではないから、その当否は事実誤認の主張ではなく、量刑不当の主張として論ずべきものである。所論(5)は主張自体失当である(したがって、この点については、量刑不当の主張として取り上げることとする。)。

以上のとおりであって、原判決に判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

三  弁護人両名の控訴趣意中、各量刑不当の主張について

弁護人上田國廣(被告人A関係)の所論は、要するに、死刑は残虐な刑罰であり、死刑廃止の流れが世界的な趨勢となっていることをみれば、死刑の適用は国家として万策が尽きた例外的な事例に限られるべきこと、被告人Aの生い立ちや人格形成の過程等をみると、幼児期から青年期にかけての極めて劣悪な成育環境に、幼児期に罹患した「てんかん」の影響も加わって、自己中心性、自己顕示性が顕著で要求充足性が強く、抑止力のきかない傾向を持つ、小児的、人格未成熟な性格が形成されたものとみられること、本件は、被告人Aらが怠惰な生活の中で次第に視野狭窄をきたし、仲間内で突飛な空想を描く異常な集団心理の中で、夢想と現実の境界を見失い、過激な方向に流れたことによるものであること、被告人Aらの行動には本件犯行に向けての一貫性がなく、いきあたりばったりに共犯者相互にもたれ合いながら、極めて杜撰にことを進めていたものであって、本件は決して計画性や執拗さの認められる犯行ではないこと、被告人AらのG子に対する殺意は必ずしもはっきりしたものではなく、それも次第に希薄になっていったこと、被告人AはD殺害を躊躇し、殺害後も悔やんでいたこと、被告人Aは本件を深く反省し、写経をしてDの冥福を祈っていること、被告人Aはいまだ若く、その人格に改善更生の余地が存することなどを併せ考えると、被告人Aを死刑に処した原判決の量刑は酷に過ぎて不当である、というのである。

弁護人長門博之(被告人B関係)の所論は、要するに、原判決は、被告人Bが被告人Aに次ぐ地位にあり、その参謀格であって、特にEとFを本件犯行に引き入れたことは被告人Bの責任であると説示しているけれども、被告人Bは被告人Aに次ぐ地位にはなく、またその参謀格でもなかったし、被告人BがEとFの本件犯行加担の責任を負うべき筋合いにないこと、被告人BらはDの「A助けてくれ。」の声にコンクリートブロック片を投げつけるのを中止したのに、被告人Aが「まだ生きとるけんが。止めば刺さんや。」と言って、自ら最後にコンクリートブロック片を投げつけ、Dの息の根を止めたのであって、このような被告人Aの行為がなければ、Dは一命を取り留めたはずであること、被告人Bは、D殺害後、共犯者らに対してG子殺害に反対し、また自らはG子に対する強姦に加わらず、更には本件の発覚と重罰を覚悟したうえでG子を解放しているのであって、そこからは被告人BのD殺害に対する後悔と懺悔の気持が窺われるのであり、このような被告人Bの態度がG子の生命を救う結果になったこと、その他被告人Bの経歴や性格、EやFに対する量刑などをも併せ考えると、被告人Bを無期懲役に処した原判決の量刑は、不当に重い、というのである。

そこで、原審記録を調査し当審における事実取調の結果をも参酌して(いずれも当該被告人の関係で取り調べた証拠に限る。)、被告人両名に対する原判決の量刑の当否について検討する。

1  まず、被告人両名に共通する本件犯行の罪質、動機、犯行に至る経緯、犯行態様、結果の重大性、遺族の被害感情、犯行の社会的影響についてみるに、概略次のとおりである。

(一)  本件は、被告人両名がE及びFと共謀のうえ、Dを身代金目的で誘拐し、その直後に殺害したうえ、その父親のCに五〇〇〇万円の身代金を要求したほか、誘拐の際にDと一緒にいたG子をその後一二日間監禁し、その間被告人A、E及びFが共謀のうえ、G子をそれぞれ強姦したという事案であるが、殊に自らの利欲のためには手段を選ばず、当初から殺害するつもりで誘拐し、人の生命を簡単に奪いながら、肉親の情につけ込み生存を装って欺き、やがては悲嘆の底を見せることをものともせず、多額の身代金を取得しようとした冷酷非情さは、厳しい非難を免れないところであって、その罪質は極めて悪質重大である。

(二)  本件身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求の動機は、所属していた東京の暴力団乙山組を抜け出た被告人両名が、被告人A方において無為徒食の生活を送るうち、玉名市内で洋品店やパチンコ店などを手広く経営している「甲野」グループの社長Cの子供を誘拐して多額の身代金を得ようと話し合い、誘拐の対象をその長男で被告人Aの同級生であったDとするとともに、犯行の発覚を免れるために誘拐後直ちにDを殺害することを計画し、被告人A方に寄食していたEやFをも仲間に引き入れたうえ、一攫千金を狙ったというものであって、その犯行の動機はまことに浅薄かつ身勝手というほかなく、殊に自らの利欲のために、特別恨みもないDの生命をたやすく奪った点は極めて利己的であり、そこに全く酌量の余地は存しない。

(三)  次に本件身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求に至る経緯と犯行態様についてみるに、被告人両名、E及びFは、昭和六二年九月一〇日夜Dを身代金目的で誘拐、殺害することを決意して被告人A方を出た後、誘拐・殺害・死体遺棄の方法、殺害・死体遺棄・身代金取得の場所等について謀議や下見を重ねたり、犯行に使用するためのロープやガムテープを購入したりしながら、Dを探し回り、ついに同月一四日夜、G子とともにいたDを発見するや、被告人Aにおいて、Dに届け物を頼むと偽り、Dを被告人両名とE及びFの乗った自動車に同乗させてその支配下におき、予め下見をしておいた本件殺害現場まで誘拐したうえ、予め謀議しておいたとおり、Eにおいて、殺されることなど思ってもいないDの背後から、空の一升瓶でその頭部を一撃して倒し、被告人両名、E及びFにおいて、必死で助けてくれるよう哀願するDの頭部目がけて、こもごも重いコンクリートブロック片を合計十回以上も投げつけ、そのころ右側頭部頭蓋骨骨折による脳内出血により死亡させて殺害しながら、あたかもDがいまだ生存しているかのように装って、その父親のCに五〇〇〇万円の身代金を要求したものであって、本件は、まさしく計画的かつ執拗な犯意に基づく犯行であるとともに、その誘拐の態様は人の善意を逆手にとった巧妙悪質なものであり、その殺害の態様はまことに残虐苛烈なものであり、またその身代金要求の態様は卑劣非道なものである。

(四)  本件身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求の犯行により、Dはいまだ二一歳の春秋に富む命を理不尽にも奪われたものであって、結果は極めて重大であり、またその死に至るまでの恐怖や苦痛、絶望感、果ては廃材とともに捨て去られ、無残な屍をさらすことになった無念さは、とうてい言葉に言い表せないものがあると推察されるとともに、跡取りの長男としてそれまで慈しみ育ててきた両親を始めとする肉親の悲嘆、憤怒も測りしれないほど大きく、遺族の被害感情にはまことに厳しいものがあって、犯人らが極刑に処せられることを強く求めている。

(五)  本件監禁は、誘拐の際にDと一緒にいたG子の口から犯行が発覚するのをとりあえず防ごうとして、また本件強姦は、いずれ殺害するつもりであったG子を相手に、被告人Aらが自分達の劣情を満たそうとして犯したものであって、いずれも自己中心的な動機に基づく犯行であるうえ、Dの身を案じるG子を欺きあるいは脅しながら、一二日間にわたり、玉名市内から果ては東京都下、横浜市内に至るまで連れ回して監禁し、その間に三人がかりで貞操をも奪った犯行態様は、非常に悪質であり、この間のG子の精神的、肉体的苦痛や屈辱感、不安感はいかばかりかと思われ、しかも、G子はようやくにして解放されるや、将来を約束し合っていたDの無残な死を知ることになったのであり、その悲嘆の大きさは察するに余りがある。

(六)  身代金目的で拐取し、その直後に殺害したうえ、安否を気づかう近親者の憂慮に乗じて身代金を要求する犯罪が、極めて反社会性の強いものであることは多言を要しない。本件が社会に与えた衝撃はまことに大きく、同種事犯の再発防止を願う社会的要言は大なるものがある。

2  そこで、被告人Aに関する個別の量刑事情について、弁護人上田國廣の前叙の所論をも考慮しながら、検討することとする。

(一)  まず被告人Aの本件の共謀、実行過程において果たした役割、共犯者間における地位等についてみるに、被告人Aは、東京の暴力団乙山組を飛び出したものの、行き場所がなく玉名市内の被告人A方に寄食していた被告人Bに対し、玉名市内で洋品店やパチンコ店などを手広く経営している「甲野」グループの社長Cの子供を誘拐して多額の身代金を得ようと持ちかけ、誘拐の対象をその長男で被告人Aの同級生であったDとし、誘拐後直ちに殺害することまで承諾させたうえ、被告人Bからやはり被告人A方に寄食していたEとFを犯行に加担させることを提案されるやこれに賛成し、E、Fを誘って犯行加担を承諾させ、D誘拐殺害計画の実行に向けて被告人A方を出立する直前には、計画実行費用の金策のため、かねて被告人Aに上京を勧めていた乙山組組長にその旅費の送金を依頼し、被告人A方を出立後は、誘拐・殺害・死体遺棄の方法、殺害・死体遺棄・身代金取得の場所、その下見等について、率先して種々の提案をし、被告人B、E及びFの意見をも聞きながら、謀議や下見を重ね犯行計画を練って具体化し、ついにDを発見するや、自ら届け物を頼むと話しかけて欺き、殺害現場まで誘拐したうえ、最初にD殺害の実行行為に出ることを承諾していたEが、空の一升瓶を持ちながら躊躇しているのを見て、暗に決行を促すため「それですっとや。」と話しかけただけでなく、「A助けてくれ。」と言って必死に被告人Aに助けを求めるDの声を無視し、E、被告人B及びFから頭部にコンクリートブロック片を合計十回位投けつけられて瀕死の状態にあるDに対し、止めを刺すべく最後にコンクリートブロック片を二回その頭部に投げつけ、また誘拐の際にDと一緒にいたG子をいずれ殺害するつもりでとりあえずは監禁することにし、自らもG子を欺きあるいは脅しながら監禁し続け、その間Eが「どうせ殺すけんが、まわしましょうか。」とG子の輪姦を提案するや、これに賛成しG子に脅迫を加え反抗を抑圧して、Fに続いて自らも強姦し、更にはDの父親Cから身代金を受け取る場所を提案して下見に行き、被告人Bらと脅迫文言を考え、被告人Bをして五〇〇〇万円の身代金を要求する電話をせしめるなどしたのであり、被告人Aは、本件を発案しただけでなく、その計画の具体化、実行においても、最も主導的、中心的役割を果たし、首謀者の地位にあったというべきであるから、その責任は共犯者の中で最も重いと認められる。

被告人Bは、被告人Aから最初に本件の計画を打ち明けられ、これに加担することを承諾したものであり、殊に、昭和六二年九月一〇日夕方、被告人A方で被告人両名、E及びFが話し合った時に、被告人Aが自分には東京行きの話があると言ったのに対し、被告人Bが「じゃ、あの話はやらないのか。」と本件の話を持ち出したことが、共犯者らが本件敢行を決意するひとつのきっかけになっていることや、また同月一四日夜にG子と一緒のDを発見した時に、被告人Aから「女はどうする。」と聞かれて、被告人Bがその女性も殺してしまう意味で、「女も一緒にやっちゃうしかない。」と言ったことが、いよいよ本件を敢行するきっかけとなっていることも否定できず、その意味では被告人Bの責任も重いというべきであるけれども、やはり被告人A自身に一攫千金を狙う気持のあったことが、最終的な本件敢行の決断をさせ、自らDを欺き誘拐する行為となって現れたのであって、被告人Bの果たした右のような役割等が、被告人Aの責任をあまり大きく軽減せしめるものとは認められない。

弁護人上田國廣の所論は、前叙のように本件は異常な集団心理による犯行であるというのであり、なるほどそのような一面のあることは否定できないけれども、被告人Aは、前示のように、一攫千金を狙って本件身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求を発案し、その計画実行に当たっても共犯者の中で最も主導的、中心的役割を果たし、首謀者というべき地位にあったものであって、不良仲間を集め、異常な集団心理を形成したことに対しても、最も大きな責任を負わなければならず、本件に異常な集団心理による犯行としての一面があるとしても、それが被告人Aの責任をそう大きく軽減するものとは考えられない。

弁護人上田國廣の所論は、前叙のように本件には計画性や執拗さは認められないというのであるが、なるほど身代金要求や取得の方法等の計画には幼稚で杜撰なところがあり、また被告人Aらが昭和六二年九月一〇日夜から同月一四日までの間にビリヤードやボーリングをして遊んだようなことも認められるけれども、被告人Aらはその一方で下見や謀議を重ねながら、次第に計画を練り具体化しついには実行するに至ったのであって、本件身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求はやはり計画的で執拗な犯意に基づく犯行といわざるをえない。

弁護人上田國廣の所論は、被告人AはD殺害を躊躇し、殺害後も悔やんでおり、また被告人AらのG子に対する殺意は必ずしもはっきりしたものではなく、それも次第に希薄になっていったというのである。確かに、被告人AらのG子に対する殺意が次第に希薄になっていったことは、所論のとおりであるけれども、被告人Aが殺害現場で取った言動は前示のとおりであって、決してD殺害を躊躇しているようなものではなかったというべきである。また被告人AらがD殺害後にどうせ殺すから殺す前にとG子を輪姦していることからは、被告人AがD殺害後それをそれほど悔やむことなく、更には当時はG子をも最後には殺害しようと考えていたことが窺えるというべきである。

(二)  被告人Aの身上、生い立ち、経歴、少年時代の処分歴等については、概略原判示のとおりであって、弁護人上田國廣の所論のいうように、人格形成上重要な時期である幼児期から青年期にかけて、被告人Aが劣悪な環境の下で成育してきたことは否定できないし、また当審鑑定人前田久雄作成の鑑定書及び証人前田久雄の当審供述によれば、被告人Aが幼児期に「てんかん」に罹患したことにより、その両親による特異で過保護な養育環境が強化され、被告人Aの性格特徴である反社会性、幼稚性、自己中心性、自己顕示性、依存性、無責任性等々を少なからず助長したことも認められるけれども、もとより被告人Aの右のような成育環境や「てんかん」罹患がその性格形成や少年時代の非行、更には本件に必然的に結びつくものではなく、被告人A自身において、中学校卒業後二度少年院送致を受けるなど、自己をみつめ直す機会を与えられながら、真摯に反省することなく、かえって暴力団に加入するなどして、その不良性向を強め、前記のようなその性格特徴を一段と顕著にし、ついには極めて重大な本件をも安易に敢行するに至ったものであり、所論のいう被告人Aの成育環境や「てんかん」罹患は量刑上いくばくかは考慮しうるにしても、それほど大きく斟酌すべきものとは認め難い。

(三)  ここで、被告人Aの犯行後の態度についてみるに、弁護人上田國廣の所論は、被告人Aは本件を深く反省し、写経をしてDの冥福を祈っているというのである。確かに、被告人Aは、捜査官に対しても公判においても、本件に対する反省の言葉を述べているし、また原審及び当審各供述中では写経をしてDの冥福を祈っていることを明らかにしている。しかし、被告人Aが本件において自らが果たした役割や他の共犯者との関係等に関して述べるところには、その責任を軽減するための不合理不自然な弁解が少なくなく、自己の行為を全て明らかにしたうえでその償いをしようとの態度はみられない。Dが「A助けてくれ。」との言葉を残したまま理不尽にも死ななければならなかったことに思いを致すと、被告人Aのこのような態度はまことに残念というほかない。そして、被告人Aの側からDの遺族やG子に対する慰謝の方途が取られたような様子も認められない。

(四)  弁護人上田國廣の所論は、死刑は残虐な刑罰であり、死刑廃止の流れが世界的な趨勢となっていることをみれば、死刑の適用は国家として万策が尽きた例外的な事例に限られるべきであるところ、被告人Aはいまだ若く、その人格に改善更生の余地が存するのであるから、死刑は極力避けるべきであるというのである。なるほど被告人Aはいまだ若く、その人格に改善更生の余地が全く存しないとまでは認められない。しかし、死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり、まことにやむをえない場合における窮極の刑罰であることにかんがみると、その適用が慎重に行われなければならないことはいうまでもないけれども、死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様、殊に殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性、殊に殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責がまことに重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許されると解すべきであって、所論のように死刑適用の範囲を極めて例外的な事例に限局しなければならないものとはいい難い。

(五)  被告人Aの本件事犯について、量刑上考慮すべき事実及び事情は、前叙のとおりであって、本件犯行、殊に身代金目的で誘拐し、直後に殺害したうえ、生存を装って欺き、肉親の情につけ込み多額の身代金を取得しようとした犯行の罪質は、極めて悪質重大であること、自らの利欲のためには手段を選ばず、一攫千金を狙って、人の生命を簡単に奪い、更には犯跡隠蔽のための監禁や劣情を満足させるための強姦にも及んだ犯行の動機に酌量の余地はないこと、犯行の計画を練り執拗にその機会を探し、巧妙に誘拐に成功するや、不意を襲い、抵抗もできずに助命を乞う被害者の頭部に、四人がかりでコンクリートブロック片を合計十回以上も投げつけるなどして惨殺した、その殺害方法はまことに残虐苛烈であること、いまだ二一歳の人の命を奪った結果は非常に重大であること、殺害された被害者の遺族は犯人らが極刑に処せられるよう求めていること、本件と同種事犯の再発防止を願う社会的要請も強いこと、被告人Aは、本件の発案、計画の具体化、実行において、共犯者の中で最も主導的、中心的役割を果たしていること、被告人Aの犯行後の態度等も必ずしも潔いものではないことなどを併せ考えると、被告人Aの本件罪責はまことに重大であるといわざるをえず、本件には異常な集団心理による犯行としての一面があること、当初は殺害するつもりで監禁した被害者に対しては、ついに殺害するに至らなかったこと、被告人Aがいまだ若年であり、その人格に改善更生の余地が全くないとまではいえないこと、被告人Aの成育環境や「てんかん」罹患がその性格形成に悪影響を及ぼしていること、被告人Aも一応は反省の態度を示し、殺害した被害者の冥福を祈っていることなどの、被告人Aのために酌みうる諸事情を充分考慮に入れ、併せて死刑の重大性に更に思いを致してみても、被告人Aに対しては、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑をもって臨まざるをえないと認められるから、原判決の量刑は相当であって、これを重過ぎて不当であるとはいえない。

3  次に、被告人Bに関する個別の量刑事情について、弁護人長門博之の前叙の所論をも考慮しながら、検討することとする。

(一)  まず被告人Bの本件の共謀、実行過程において果たした役割、共犯者間における地位等についてみるに、弁護人長門博之の所論は、被告人Bが被告人Aに次ぐ地位にはなく、その参謀格でもなかったし、また被告人BがEとFの本件犯行加担の責任を負うべき筋合いはないというのであるが、被告人Bは、東京の暴力団乙山組を飛び出したものの、行き場所がなく玉名市内の被告人A方に寄食するうち、被告人Aから、玉名市内で洋品店やパチンコ店などを手広く経営している「甲野」グループの社長Cの子供を誘拐して多額の身代金を得ようと持ちかけられ、誘拐の対象をその長男で被告人Aの同級生であったDとし、誘拐後直ちに殺害することをも承諾したうえ、やはり被告人A方に寄食していたEとFを犯行に加担させることを提案し、被告人Aの賛成を得るや、自らもEとFを誘って犯行に加担させ、昭和六二年九月一〇日夕方、被告人A方で被告人両名、E及びFが話し合った時には、被告人Aから自分には東京行きの話があると聞かされたのに対し、「じゃ、あの話はやらないのか。」と本件の話を持ち出して、共犯者らが本件敢行を決意するきっかけを作り、同日夜被告人A方を出た後は、ともに誘拐・殺害・死体遺棄の方法、殺害・死体遺棄・身代金取得の場所等について、謀議や下見を重ね犯行計画を練って具体化し、ついに同月一四日夜にG子と一緒のDを発見した時に、被告人Aから「女はどうする。」と聞かれた時にも、その女性も殺してしまう意味で、「女も一緒にやっちゃうしかない。」と言って、いよいよ本件を敢行するきっかけを作り、被告人Aに届け物を頼むと欺かれ、殺害現場まで誘拐されたDが、Eから最初に一升瓶で頭部を殴打されて転倒するや、Dを足蹴にし、Eの次に自らもDの頭部目がけてコンクリートブロック片を投げつけ、結局被告人A、E及びFとともに合計十回以上もコンクリートブロック片を頭部に投げつけてDを殺害し、また誘拐の際にDと一緒にいたG子をいずれ殺害するつもりでとりあえずは監禁することにし、自らもG子を欺くなどしながら監禁し、その間Eの提案したG子の輪姦には加わらなかったものの、被告人AらとともにDの父親Cから身代金を受け取るための脅迫文言を考え、自ら五〇〇〇万円の身代金を要求する電話をするなどしたのであり、被告人Bは、本件犯行計画に当初から加わり、E及びFの勧誘、計画の具体化、実行においても、共犯者の中で重要な役割を果たしてきており、殊にその意見は計画の具体化、実行に大きなきっかけを作って、異常な集団心理を助長するとともに、共犯者中の最年長者としての重みを持っていたのであるから、原判決が、被告人Bは被告人Aに次ぐ地位にあって、その参謀格であったというのも決して過言ではなく、またEとFの本件犯行加担は、そのころ行動を共にしていた被告人両名、E及びFの関係からして、半ば自然の成り行きであったといいうるにしても、EとFを誘うことを提案しそれを現実化したことについては、やはり被告人Bは責任を問われるべきであって、このような被告人Bの責任は共犯者の中で被告人Aの次に重いと認められる。

弁護人長門博之の所論は、前叙のように、被告人BらはDの助けを求める声にコンクリートブロック片を投げつけるのを中止したのであって、被告人Aが最後にコンクリートブロック片を投げつけて止めを刺し、Dの息の根を止めなければ、Dは一命を取り留めたはずであるというのであるが、被告人Aが最後にコンクリートブロック片を投げつける以前の被告人Bらの行為自体、それだけでDを死に至らせるに足る非常に強力かつ危険な攻撃であったのであり、また被告人Bは自らコンクリートブロック片を投げつけた後に、Dに医師の治療を受けさせるなどの、救命の措置を講じようとしたことのないのはもちろん、被告人Aがコンクリートブロック片を投げつけるのを止めようとしたこともなく、その時点でもなおD殺害を容認意図していたことが明らかであるから、被告人Bは、被告人Aの行為がなければDは一命を取り留めたはずであるなどといいうるような立場にはない。

弁護人長門博之の所論は、被告人BがG子殺害に反対しまた自らはG子に対する強姦行為に出ず、更には本件の発覚と重罰を覚悟したうえでG子を解放していることからは、D殺害に対する後悔と懺悔の気持が窺われ、このような被告人Bの態度がG子の生命を救う結果になったというのである。確かに、被告人BはG子殺害やその強姦に積極的ではなく、更には本件の発覚と重罰を覚悟したうえでG子を解放していることは、所論のとおりであって、そこから被告人BのD殺害に対する後悔と懺悔の気持が窺われなくもないし、このような被告人Bの態度も影響して、G子の生命が救われる結果となったことも否定できない。しかし、本件で量刑上最も重視すべきなのは、Dに対する身代金目的拐取、殺人、拐取者身代金要求の罪であるから、所論指摘の点は被告人Bのために斟酌しうるにしても、そう過大に評価することはできない。

(二)  被告人Bの身上、生い立ち、経歴、少年時代の処分歴等については、概略原判示のとおりであって、少年時代に遊び仲間とともに犯した強盗傷人事件により一度少年院送致の処分を受けたことがあるものの、その後更生して真面目に働き、妻との間にふたりの子供をもうけ、自宅も新築して安定した生活を送っていたのに、妻との離婚や自宅の火災などの不幸が重なったため、昭和五九年に上京後、やがて暴力団乙山組組員となり、そこで被告人Aとも知り合い、被告人A方に寄食することとなり、本件に至ったものであって、そこには酌量しうる事情もないではないが、被告人Bには不幸に対する耐性が弱く、不幸な出来事を契機に素行が乱れ、やがて不良集団の中に身を置き、果てはその不良集団の一員として重大な事犯に及ぶ傾向を否定できない。

(三)  被告人Bの本件身代金目的拐取、殺人の犯行後の態度は、前叙のとおりであり、特にG子に対する態度からはD殺害に対する後悔と懺悔の気持が窺われなくもないほか、G子を解放後自ら警察に出頭し、捜査段階から自己の果たした役割等につき、不利な事実をも含め比較的素直に供述するなどしているのであるから、供述の一部に自己の責任を軽減しようとしている傾向もないわけではなく、またいまだにDの遺族やG子に対する慰謝はなされていないとはいえ、その反省の態度は一応は評価しうると認められる。

(四)  被告人Bの本件事犯について、量刑上考慮すべき事実及び事情は、前叙のとおりであって、本件犯行、殊に身代金目的で誘拐し、直後に殺害したうえ、生存を装って欺き、肉親の情につけ込み多額の身代金を取得しようとした犯行の罪責は、極めて悪質重大であること、自らの利欲のためには手段を選ばず、一攫千金を狙って、人の生命を簡単に奪い、更には犯跡隠蔽のための監禁にも及んだ犯行の動機に酌量の余地はないこと、犯行の計画を練り執拗にその機会を探し、巧妙に誘拐に成功するや、不意を襲い、抵抗もできずに助命を乞う被害者の頭部に、四人がかりでコンクリートブロック片を合計十回以上も投げつけるなどして惨殺した、その殺害方法はまことに残虐苛烈であること、いまだ二一歳の人の命を奪った結果は非常に重大であること、殺害された被害者の遺族は犯人らが極刑に処せられるよう求めていること、本件と同種事犯の再発防止を願う社会的要請も強いこと、被告人Bは、EとFを共犯者に加えることを提案するなど、本件の具体化、実行において、共犯者の中で被告人Aに次いで重要な役割を果たしていることなどを併せ考えると、被告人Bの本件罪責も非常に重大であるといわざるをえないので、本件には異常な集団心理による犯行としての一面があること、被告人Bが本件に加担した理由には、被告人A方で寄食していた義理も含まれていること、当初は殺害するつもりで監禁した被害者を共犯者の中でただひとり強姦しておらず、また最後には本件の発覚と重罰を覚悟したうえでついに殺害することなく解放していること、犯行後の態度には反省の情が認められ、また殺害した被害者の冥福を祈っていることなどの、被告人Bのために酌みうる諸事情を充分斟酌し、更にはEやFに対する量刑を考慮に入れてみても、被告人Bに対しては、無期懲役に処して、終生その罪の償いをさせるべきものと認められるから、原判決の量刑は相当であって、これを重過ぎて不当であるとはいえない。

4  以上のとおりであって、被告人Aに関する弁護人上田國廣の論旨及び被告人Bに関する弁護人長門博之の論旨は、いずれも理由がない。

(なお、原判決一四丁裏九、一〇行目に「佐賀県《省略》二八六番地」とあるのは、「佐賀県《省略》八二六番地」の、同二二丁裏四行目に「司法警察員に対するG子の同年九月二五日付……供述調書」とあるのは、「司法警察員に対するG子の同年九月二六日付……供述調書」の、同二三丁表一四行目に「検察官作成の電話聴取書」とあるのは、「検察官作成の電話聴取書(昭和六二年一一月五日付)」の各誤記と認める。)

よって、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却し、刑法二一条を適用して、被告人Bに対し、当審における未決勾留日数中八〇〇日を原判決のその本刑に算入し、当審における各訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して、被告人両名にいずれも負担させないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田一昭 裁判官 森岡安廣 林秀文)

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